人の幸せの在処とは?/何があれば幸せなのか?/お金なのかなんなのか

スポンサーリンク

今回もまたまた、

何だかよくわからないつぶやきにも似た

文章になるかと思います。

まぁ… ブログなのでよいかな?と。

時々… といいますか、

よく突き当たる壁なのです。

人の幸せの追求」の話です。

満足するところといいますか、

もしかした妥協点なのかもしれません。

どこまで行けば、満足するんでしょうか?

納得できるんでしょうか?

もしかしたら人によっては

それが信仰になるのかもしれませんし、

シンプルに何か「自分の信じるもの」なのかもしれません。

例えすごいお金持ちであったとしても、

それで「その人が幸せか」とは限らない話なのですよ。

全くもって難しい話です。

ラッセル幸福論 (岩波文庫)

こういった本を読んでみるのも、

一つの方法かもしれませんね。

私は特に自分の考えも曖昧で、

断固とした意志があるわけでもないので、

常に流れ流れて生きている気がします。

まだ若いころは、

人に何と言われようとも自分は自分である」といった風な、

はたから見ればどうであったかはわかりませんが、

自分なりには納得し、

満足のいく時間を送っていた時代があるようにも、

今では思えます。

若かりし当時は、

毎日何かに「やるせない、やるせない」と

生きていた気がしますが…(笑)

でも何かを追い求めていた、

自分の理想がある程度明確で、

それを追い求めていた頃は、

もしかしたら今よりもどこか自分の中では

幸福」であった部分があったかもしれません。

スポンサーリンク

「人から見た幸せ」と「自分の感覚」との格差

人からみて幸せに見えていたとしても、

それが「本人」にとって「幸せ」でない場合、

むやみやたらに羨ましがることは出来ないです。

そこが難しいもので、

「幸せ」を自慢する人は、

本当は「自分を幸せだと思いたい」だからこそ、

それを人に対して言葉として伝えることによって、

「自分自身の中で再確認」をして

「言い聞かせている」ことになる場合もあるのです。

そんな覚えがある人、いませんか?

何も今の自分を

「不幸」だとまでは思っていなかったとしても、

「幸せだ」「幸せなはずだ」と言い聞かせる。

そうでなければならないと思う。

確かにそうなのかもしれない。

でもそうじゃないかもしれない。

しかしながら自分自身の

「幸福」を最も突き詰めて考えたとき、

それが「周囲の人に対して」

どんな影響をもたらす可能性があるのか、

ある程度の年齢になったり、

自分の中で「精神的に成長」したであろうときになると

気が付いてしまいます。

「自分自身の幸福の追求」には

「他の人の不幸」が裏返しになっていることになると。

そのもっとも大きいであろう例が「戦争」などになります。

そういった大きな出来事が起これば、

たくさんの人に大きな「不幸」が訪れることになります。

しかしその裏では、

ごくごく一部の人が私腹を肥やしている場合も…

あるんでしょうね。

私はが学がないので難しいことはわかりませんが、

そうでもないと、

「一個人の怨恨や意志」だけで大きな事が起こると思いますか?

100%誰もが悲しい思いしかしない、

損しかしないことを、そうだとわかっていることを、

何の目的もなしに「人間」が大々的に行うでしょうか?

人の上に立つ人は、また「幸福論」が違うでしょう。

そもそも考えていることも

私のような一個人と全く違うでしょう。

生きてきた環境・自分の持っている知識の範囲内で、

「何を幸せ」と感じるかは違います。

お金がない人はお金があれば幸せになれると信じています。

食べ物がなければ

おなかいっぱい食べたいと願い、

学校に行ける環境ではない国の子供たちは

「学校に行くこと」を強く望みます。

自分たちが今いかに恵まれているか?

世界がもし100人の村だったら

こういった本を見ると、

自分たちが今いかに恵まれているか?」を

思い知らないといけないと思わさせられます。

しかし、どうしてなんでしょうね?

現在この国では、

「満たされているハズ」なのに自殺者は増えています。

満たされているハズの

「やるせなさ」「自分の居場所の欠如」

結構今って幸せだと思います

この文章を読むことができている人は、

少なくともパソコンか携帯があり、

ネットに接続できています。

ネットカフェって手もありますかね?

でもわざわざこんなつまらない主婦の戯言を、

ネットカフェから見る人もそうそういないでしょう。

暇つぶしで見ていただけているなら、本望です。

ありがとうございます。

「幸せ」って本当は、

お金でがたくさんあることが大きな部分なのではなく、

お金があることによって、

「周囲に自分が認めらること」などなのかもしれませんね。

こんなにいろいろな物が発達した世の中において、

自分が透明人間になってしまうことが、

何よりもつらいことなのかもしれません。

それでも本当の自分自身なんて、

自分にもわかりません。

「おなか一杯になりたい」と願った子供が

多かったであろう、戦後の時代。

「上へ上へと昇ろう!もっともっと良い時代へ」と

前へ進む気持ちを持つことができた高度経済成長期。

そしてバブルははじけ、

限界を感じることとなってしまった時代。

さまざまな時代を越えて、

確かに現在は豊かで、

飢えることは割合的には非常に少ないであろうとは思います。

でも、なんでしょうね。

きっと何十年か前の人が目指した幸福が、

今はある。

でも何かがない。

時代が進む中で、

「失われた何か」が大きいことに、

気が付きそうで気が付いても見て見ぬふりをする。

何とも単純なようで難しい。

感情というものが複雑でなければ、

幼い子供のように純粋になんでも受け入れることができれば、

それが幸せなのかもしれません。

「疑うこと」を知らない

「信じる心」で満たされている頃、きっともっとも幸福です。

結論として…

だから人は何かを信仰したくもなるのかと。

なんとなく考えているうちに納得できました。

以前もそんな感じで納得した気がします(笑)。

私にとっては、

こういった問題は常に解決できそうで解決することのできない、

どうしようもない、

考えても仕方のないことなのです。

考えても絶対答えはでないので、意味はありません。

ただ考えていることで、

おそらく私は私の存在意味を見出しているんだとは思います。

なんて、かっこいいこと言ってみたり。

たぶん頭の良い人…

でなかったとしても、

簡単に答えがわかっちゃうような問題に対して

疑心暗鬼」な気持ちから、

難癖をつけてウダウダ語っているに過ぎませんね。

それもこれも

「私が現在満たされているから」こんなことばかり考えているんでしょう。

ここまで読んでくださった方。

長々とした語りにお付き合い頂きまして

ありがとうございます。

次回はまたおすすめの

漫画やら映画などを紹介したいと思います。

では 今回この辺で。

追伸

もうすぐ発売なので、楽しみでたまらない。

NEWアルバム。大好きなアーティストなのです。

【Amazon.co.jp限定】The Insulated World(初回生産限定盤)(ポストカード付)

↑↓ランキング参加しています!ぜひお願いします!

スポンサーリンク