何のために生きているのか?/「普通」って「普通」じゃないよ

スポンサーリンク

今回は私個人の思想といいますか、

かなり個人的な考え方でしか書かれていない文章になりますので、

そういった話が苦手な方にはおすすめできません。

※また、当記事は社会通念上一般的(普通)とされる家庭、個人に限っての意見です。

該当しない生活環境の方もおられる事は理解しております。

はてなブックマークで、「みんな何のために生きているのか?

といった風な話をみかけました。

確かに「何のために生きているのか難しい問題ですよね。

私自身特に理想も趣味もありませんし、

特別に親しいとよべる友人もいません。

月に数回知人からの誘いを受け、

いそいそとゴルフにいっている旦那を羨ましくも思います。

全くうまくはないみたいだけど、

本人は非常に楽しいらしく、

ウキウキを出かけていき、ニコニコと帰ってきます。

そういうのが「趣味」なのかな?と思うので、羨ましい限りです。

「何のために生きているのか」何のためなんでしょう?

はてなのところでスレを立てている方は、

ご自分の親御さんがおられるから」とのことです。

私もまだまだ両親健在ですし、子供もいます。なので生きています。

なんでだろう?と疑問に感じてしまうと負けなんじゃないか?と自分に言い聞かせています。

多分多くの人は一度は考え、悩む「最大の疑問」であって、

そして「誰にでも当てはまる明確な解決の方法」はないものなのだと思われます。

今現在生きている限りは、生きていくものなのだと。

それは義務でもなんでもなくて、ただ単純にそうなのだと。

時代ですかね?あくまで日本での話ですが、

手に入れようと思えば大抵の便利なものは一般家庭でも手に入り、

非常に困窮していない限りはお腹いっぱい食べたい!と願うこともない。

恐らく、ご両親が何不自由することなく健康に育て上げてくれているからこそ、

悩むことになってしまっているのかな?とも思います。

私はこう言ってはなんですが、若い時は生き急いでおりました。

今でも恐らく本質的な性格は何も変わってはいませんが、

年齢とともに考え方には変化がありました。

人はどうせいつか亡くなるのだから、何も今じゃなくてもいい
今は何もなくても、今後何か自分にとって目的ができる可能性がある
亡くなってしまえば、そこからもう何も生まれることもない
生きてさえいれば、どんなことでもできる可能性は0ではない

ということです。

そもそも「生きることに疑問」を感じることが出来るということ自体が、

結構幸せなんだと思います。

だって、

もしも重篤な病気になってしまったり、大けがをしてしまったり、すればきっと

「生きたい」「もっとただ生きていたい」「日常を生きたい。戻りたい」と願うでしょうし、

借金苦などで激しく困窮している場合であれば、

「お腹いっぱい食べられるようになりたい」

「普通に生活がしたい」と望むでしょう。

何も望むことがない状態は、

多分ですがそれだけで今非常に幸せな状態なのです。

私の場合は子供もいますし、大人に育て上げる義務もあります。

ここへきてようやく、

自分が生きている意味を見つけていくことが出来そうなところへ来ています。

本来自由奔放な人間性を持っている私なのですが、

少しくらい自分の思う通りにならない「子育て」などの出来事があった方が、

生きる目的」も同時にできたので結果的には良かったと思えます。

もっと若いころには、結婚にも子供にも興味はなかったです。

でも縁があれば、それも一つ、人生を生きていくためにも「良い要素」であると今では思えます。

理想は持っても仕方ないです。

特に子育ては理想とは現実がかけ離れています。

むしろ理想を高く持ちすぎていると、

そのギャップにさらに悩んでしまうことになります。

ただ毎日「何もない日常」を最も尊い幸せであると思えるようになれば、

単調で退屈なことかもしれませんが、それが何よりの幸せです。多分。

全ての人がそうだとは思いません。

あくまでも私の考え方ですが、私も日々いろいろなことに悩んでおります。

当たり前のようなことに「どうして?」と疑問を持ってしまうこともよくあります。

でもあまり難しいことを考えても仕方ありません。

「誰でも生まれてきたことに意味がある」という風に考えて、

一生をその「自分が生まれた意味を探す」ために使っても良いのではないでしょうか

それかイチかバチか、自分が面倒でと思っていたり、

興味がないと感じていることに一度挑戦してみるのも良いかもしれません。

「興味がない」と「意識」はしているのであれば、

チャレンジしていくことで新しい道が開けるかもしれません。

いずれにしても、今現在ある程度健康であり、

自分の意志がしっかりとあり、飢えることもなく、ある程度の生活を営むことが出来ているということは、

それだけできっと恵まれているんだと、

私自身自分でもそう思うことが出来るようになったのは、結構最近です。

私の場合には子供が毎日元気で、怪我もなく、トラブルなどに巻き込まれることもない、

ただの普通の日常」の一日を送ることが出来れば、それで今日は「良かった」と思います。

やっとそういう考え方ができるようになりました。

そして自分が「親」となり、感じたのは、子供に不自由をさせないために

「親」が陰ながらにせよしていくことの大変さです。

かつては自分の親もこうして自分を育ててくれたのだと、

少しずつ理解できるようになり、感謝の気持ちも芽生える機会が出来てきて初めて、

少し自分の生きている事実を肯定的に見ることが出来るようになり始めました。

どこで何がきっかけになるかはわかりませんので、

「結婚」「出産」などが全てにおいてその「気付き」の機会になるかはわかりません。

確かに人生ってつらいことの方が多いです。

でもそこそこ楽しいのであれば、まだまだ捨てたもんじゃない。

なんにしても、、事故や病気やそのほか様々な理由で、

突然生きることができなくなってしまうこともあります。

当たり前なような若い頃であれば、

「また大人が何をいっていやがるんだ」「うるさいなぁ」と感じたことでもありますが、

「当たり前って多分一番難しい」んです。

「普通」で「何事もない」ってなかなか幸せで、

それだけで得していて「ツイて」るんです。

悩むこともまた一つ。

最後に私事ではございますが、

学生時代には結構いじめにあったことがあります。

それがつらかったというよりも、

「なんだか面倒」になり、もういいやと思ったことも何度もありました。

でも何となく悩みながら、惰性で生きていると思いながら生きていた時期もあります。

でも結果、

今になって「生きてて良かったのかも」と思えています。

もしかしたらそんなときが、

はてなのスレ主さんにも訪れるかもしれません。

なので今悩んでいるのであれば、

とりあえず悩みながらでも、その先に何があるのかだけ見ていけばどうでしょう。

いつか答えが見つかるかもしれないし、

突然解決するかもしれません。

何もないかもしれないけれど、きっと悩んだ時間は無駄じゃないです。

…と、今回は少し語ってしまいましたが、

あくまでも私個人の考え方です。

特に自己啓発系の何かに心酔しているわけでもなく、

「私は私」という結構「唯我独尊」的な人間の考え方なので、

こんな人もいるんだ!程度に考えていただければ幸いです。

↑↓ランキング参加しています!ぜひお願いします!

スポンサーリンク