マイルド絵本ってなんだろう?/昔話の内容に変化がある時代/そこから考える経験の問題

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ニュースでふと目にしました。「マイルド絵本」という言葉。

私は「シンデレラ」や「白雪姫」などであっても、より残酷で原作に近い描写の作品を好んで読むタイプなのですが、

言われてみれば子供用に置いている絵本の表現は、昔私が読み聞かせてもらったり、自分で読んだものよりもやさしい」内容になっている気がします。

「カチカチ山」などでも今は誰もなくなってしまうことはなく、最終的には「ごめん」といって「みんなで仲直りして楽しく暮らしました」といった風に変化していますよね。

それはそれでいいとは思うんですが、でもそれでいいのか?

少し気になったので、調べてみることにします。

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「マイルド」だけど「マイルド」じゃない?!

私たちが昔よく見たり聞いたりする機会もあったであろう話、

「さるかに合戦」これも現在では「さるかにばなし」とタイトルを変えて、子供向け絵本として出ているようです。

なんでも「合戦」という言葉が「戦い」を意味しているからだそうですが、

何か違和感というかを覚えます。

内容も結構「やさしく」なっていて、まずあ親のカニは死んでしまうことはないし(怪我はしますが)、サルも復讐でとどめをさされるまではいきません。

後は「牛糞」だったかな?サルが滑って転ぶための要素の存在が、昆布か何かにかわっていたような。

そのうちバナナの皮にでも変わりそうな気がしますが、まぁ確かに最初にサルがやった行動自体もマイルドになっていますが、それでもそれって「ごめんなさい」で許されるの?ってことです。

サルもそこそこカニの子供含む臼等(友人?)たちに袋叩きにされますが、最終的には

「ごめんなさい」「うん。わかってくれればいいんだよ」って。

現実にそんなことなります?結局報復はしてるじゃないですか。「マイルド」だけど、結局は「何か悪いことをした」ことに対して「結構暴力的」に報復している。

でもそれで仲直り。めでたしめでたしって… 。

なんかちょっとおかしくないですか?現実だったらこの友人関係絶対なりたたないでしょ。

現実に近くなり、置き換えて考えることがしやすい「マイルド」表現になっているからこその違和感

だって私たちの世代が「昔話」でよく聞いた頃のように、

「親のカニがサルによってお亡くなりに… 」なんてことになったら、

仇討ちを仲間と計画」して最終的に「サルに仇討ちを果たす」ことをしても納得できる。

ヒーロー映画必殺シリーズのようですよね。

理由が明確だし、意味もわかる

最初からサルはやり過ぎだし、

現在の日本のような司法制度が機能していない以上こうなっても仕方ありませんからね。

でも「マイルド」な方は、変に仲直りしてしまうせいで元々の物語で伝えたい部分がなくなり、

なんかいっそのこともうちょっと最初から考えたらどうか?と思ってしまう。

もしかしたらそれが目的に書き換えられているのかもしれないけれど、

そもそも「サル」を全面的に信用しなければいい話だし、カニはカニで木に登れないことが分かっているんだから、柿に興味持たなければいい

… ん?あれ?考えてみると人との関わり方が難しい今の時代にはあっている話かもしれませんね。

「親切に最初からいい顔をして寄ってくる輩は信用しない」

「最初から他人に対して期待をしない」

「自分の身の丈に合わないことは最初からしようとしない」

そんな感じですか?子供たちはこれを学べばいいの?

「表現」としては「マイルド」な感じになっている(ダイレクトな描写はない)感じですが、よくよく考えてみると、

「やられた!!」

「仇討ちじゃぁぁ!!」

みたいな方が分かりやすい感情表現だったんじゃないか?と思えてくる。

現在のものは「察せ」ってことでしょ?

察せ」「最後は許せ」「そしてすべて水に流せ」ってこと?

でもそれじゃあ「サル」はちょっとばかし怖い目にはあるかもしれないけど、

「得」な部分多くない??

……ならいっそのこと、もっとリアルにして捕まえて裁判して牢屋に入れてやったらいいのにね。

ダイレクトな「復讐」や「報復」の表現は、確かに今の時代にはあっていない表現かもしれませんので、その辺は外してもいいかもしれませんがね。

「現実世界」は「ハッピーエンド」ばかりじゃない

いろいろな童話や昔話がありますが、「マイルド」な内容になっているものの多くは「ハッピーエンド」な締めくくりにもなっています。

でもそれってどうなんでしょう?

現実」は「ハッピーエンド」であふれているわけではありません。

「赤ずきん」のような話であれば、むしろ「ハッピーエンド」ではなく、言いつけを守らなかったときのリスクをしっかりと理解させるために、あえて「バッドエンド」でもよいのでは?

と思ったりもします。

何も「写実的な描写」などをわざわざ強調して子供にまで見せろ!

というわけではありませんが、「性善説」を人がみな信じ、それを実行しているような世の中ではありません。

どうしても「人」は「人」である限り悪いことも考えます。実際に行動してしまう人も残念なことにいます。

童話や昔話などの昔から子供に対して「伝え」「聞かせる」お話というものは、

親が子供に対して行う注意喚起」の意味も含まれていると思います。

「〇〇どうなったの?」「怖いね」と子供が感じたとしても、それはそれでいいと思うんですよ。

もしも現実社会のすべてが「やって」「やりかえして」「ごめんね」「うん。いいよ」で済むのであれば、「マイルド」でもいいと思います。

でもなぁ… 本当、現実ってそんなことは稀です。それを「当たり前」だとすりこまれて守られて、現実の社会に出たとき、それって「誰が得」ですか?
超えてはいけない一線はどこで学べばいいのですか?

現在版の猿蟹合戦なら「サル」が、三匹の子ブタなら「オオカミ」、カチカチ山なら「たぬき」がなんだか得してるように感じるんですよ。

まぁ、最初から昔ほど悪いこともしないように書き換えられているものの、それでも「罰」はうけますが、その後には和解をしたり、何事もなかったかのように仲良くみんなで暮らしました!みたいになります。

実際に現実だとこうはいかないと思います。裏切りなどは非常に重いですよね。

たとえ罪には問われることはなかったとしても、周囲からの見られまたは180°変わってしまいます。

一度失った信用などを元通りに取り戻すことは困難であり、一生無理な場合もあります。

「絵本」の話なのでそこまで目くじらを立てる必要もないかな?別にそれをそのまま社会の縮図のように考えて生きている人はいないだろう。とは思いますが… 。

「子供」が「親」以外の他人の大人と触れてしまう時代

少し話はそれるかもしれませんが、私の感覚では中学生や高校生はまだまだ「子供」であるという感覚を持ってます。

それはもしも高校へは行かずに働いている、という人であっても同じだと思います。

単純に人生経験の差です。「どれだけの人に会い、どれだけのパターンを知っているか」です。

ですのであるいは「年齢」などでは単純にくくることはできない部分かもしれませんが、

ここではこれ以上この部分の話を膨らませても仕方ないので、とりあえず「小学生・中学生・高校生」の一般的に「学生」と聞くと浮かぶ年齢を対象に考えます。

最近はインターネットなどの技術が格段に進歩しました。それは非常に良いことであると同時に、大きな「闇」を生んでしまうことにもなっています。

今までの人は「対面」で会うか、「声」を電話(固定)で送ることが主でコミュニケーションをとりましたよね。手紙などもそのツールの一つです。

でも今では違いますよね。

メールやLINEなど、相手の顔も年齢も、もしかしてその人物が本当にその人物であるかもわからないのに、話はできてしまうといったおかしな現状が起こってしまいます。

人生経験とは大切なもので、ある程度年齢を重ねていくと慎重にもなります。相手が本当に「その人物」であるか「信用に値するか」などがわからないままであれば、込み入った話はしないでしょうし、

それ以上の接点を持つことは選択しません。相手がどれだけ魅力的な話を持ち出してきても、「信じる」に値するかどうかを判断していくことが出来るようになっていきます。

でも、子供の場合はどうでしょうか?携帯電話やスマートフォンなど、最近では比較的低年齢から持っているのを田舎でも見かけます。

「いい大人」が「いい大人」をだますことは難しいです。
でも
「いい大人」が「子供」をだますのは簡単です。

どれだけ大人ぶった文章を書いている子供であっても、どれだけ大人ぶった言葉づかいで、大人に偉そうに振る舞ったとしても、「子供」は「子供」です。

ある程度の年齢までは「親」や周囲の大人が守る必要があるけれど、今の時代、「子供自身」が大人びてしまい、本来年を重ねて到達するであろう「大人の世界」に中途半端に踏み込んでしまう。

そうなると「大人相手」のトラブルや犯罪に巻き込まれる形になってしまい、なかなかもう「親」などで守り切れるものではなくなってしまう。

話を戻して、ここで「童話」などの幼いころから聞くであろう絵本の話が役に立つんです。

どこまでも表現を「マイルド」にしてしまうと、「悪い人」はいなくなってしまう。みんな話し合いで解決できてしまう。基本はいい人ばっかり。

…そんなことは悲しきかな現実ではありえません。

むしろ空想の世の中だからこそ、ある程度「怖い」と感じるくらいの表現でもよいのでは?

「マイルド」なおとぎ話の中で幼少期を過ごし、

急にもう大人の世界に片足を突っ込むことが出来てしまう世の中において、

私たちが幼かった20~30年ほど前よりはより一層幼いころからの注意喚起」が親しみやすい「絵本」などで必要なのではないかと感じております。

「親」の中でも極端な考え方の人もいる

もはや「誰」が「何」という話でもなく、本当に「個人」の問題になってきてしまいますが、解釈についても「親」の立場であっても極端に解釈する場合もあれば、上手くかいつまんで考えることのできる人もいますよね。

私はこんな話を今日書いているくらいなので、多分「極端」な方なんだと思います。

だって案外どうでもよい話でもあるからです。そもそも童話なんて誰もが絶対に読む話というわけでもないのですからね。

ただ、有名な誰もが知っている話となると、

もともとの物語の本質を曲げて「マイルド」に移行していくことによって、「いったい誰得?」って考えちゃうんです。

別に昔のままも表現でも、「過激だ!!」と思う人は子供に読まなきゃいい。

何も内容まで変えていく必要なんてない。

伝わっている話なのだから、なおさら「意味があって」後世に伝わっているのだから

どうしてそうなっていくのか?

どうして考えてみると「悪いことをした人」が「ちょっと得してるような」ニュアンスになっているのか?

私は不思議でなりません。

一体どうしてなんでしょうね?学のない私の頭では脳がパンクしそうなので、本日はこの辺で。

ではまた。

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