錬金術師ってどんな人?/ニコラス=フラメル/永遠の時を生きてみたい?

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漫画やアニメ・小説などでときどき目にする「錬金術師」という職業。一体どのような仕事をする人なのでしょう。漫画・アニメや映画・小説などの印象で考えると、どうも魔法使いのような存在の印象を持ちます。しかし過去には現実の職業としてあったものなのです。

今回は不思議な職業「錬金術師」について考えたいと思います。そして現実に存在し、某映画にも名前などが登場している有名なニコラス=フラメルについても触れていきます。

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「錬金術師」とはどんなことをする仕事だった?

具体的に現実に存在した「錬金術師」とは、どのような仕事をする人だったのでしょう。調べてみると、主に「化学的手段を用いて卑金属から貴金属(特に金)を精錬しようとする試み」をおこなった人のことを指すようです。

昔から金・銀は価値のあるものであり、高価なものでした。それを金属ではないものであるそれほど価値の高くないものから生成できるとすれば、それは莫大な富へとつながることになったことでしょう。多くの人はそれに憧れたのでしょう。

確かに今でもそういった技術が証明されたとなれば、それを実現した人はとてつもない富を持つことになると思われます。しかし現実には現在の科学力をもってしてもそれは到底無理な話で、現在の錬金術師である科学者たちの能力をもってしても、実現には至っていません

錬金術師」と呼ばれた人達は、普通の人では考えないような研究や実験などをおこなっていたことが考えられるため、当時の人にとってはさながら魔法のように見えることもあったでしょぅ。イコールでつながるわけではありませんが、「錬金術師」は「魔法使い」のように見えてた時代もあったのではないでしょうか。

永遠の命にも憧れを抱いた人々

錬金術師」であった人の最大限の目標は、「賢者の石」を作ることにあったといわれています。「賢者の石」と聞くと某映画や小説に代表される、簡単にいうとどんな願いでもかなえてしまうすごい「石」です。「賢者の石」は不可能を可能にするとされる「石」であり、なんでも非金属を金に変えることができたり、人に永遠の命を与えたりすることができるらしいです。

時の権力者たちはさらなる富と、それを謳歌するための永遠の時間をえるために、「賢者の石」を欲したのでしょう。人は富と権力を得ると、その次に時間を欲しがります。欲張りな話ですが、その尽きることのない欲求のおかげで、今日に至る便利な生活が出来上がってきているのです。

時の権力者や莫大な富を持っている人は、優秀な「錬金術師」に出資して「賢者の石」の研究をさせていたのではないでしょうか。今でも有能な才能をもっている研究者などについては、企業やお金持ちが出資をしてさらなる研究をしているといったことをよ聞きますし、テレビなどでもみかけます。

今ではスポンサーとも呼ばれていますが、そういった後ろ盾を得ることによって、「錬金術師」は研究に研究を重ねていったのでしょう。結果が出せないことには資金の打ち切りなどをあったでしょうし、現在よりも権力者の権力などが強かったことが考えられるため、結果次第では死刑!なんてこともあったかもしれませんね。

ニコラス=フラメルってどんな人?

ここで一人、有名であるとされる「錬金術師」を紹介します。それはニコラス=フラメルという人物です。某魔法使いの小説にもでてくる、現実にも存在していた有名人です。

ニコラス=フラメル」は「ニコラ=フラメル」とも呼ばれている「賢者の石」を唯一つくることのできた人物であると知られているようです。実在した人物であり、1330年にポントワーズにて生まれ、1418年にパリにて没したとのこと。しかしその後、墓地に葬られているはずの遺体が消えていた…などの話もある人物であり、「賢者の石」を生成できた故の「不老不死説」がささやかれている人物でもあるのです。

某有名小説の中ではすでに600歳以上になっているという話で登場していたり、お墓の話も本当なのかどうかのかは確かめようがありませんが、現在もどこかで今の世の中を見つめながら生きているのではないかと思わせてくれるようなミステリアスな要素が満載の人物です。

賢者の石」を本当につくることができるのであれば、それを元に莫大な富や権力を…と思ってしまうのはもしかしたら少し貧しい考え方なのかもしれません。

もしも「ニコラス=フラメル」が本当に「賢者の石」を持っていたり、つくることができているのだとして、どうして世の中にでてくることがないのか?もしかしてつくるためにとてつもないリスクがあるのかしれません。某有名漫画の中で「賢者の石」は一つの街にいる人の命などをすべてささげて作っていたりしました。

それほどか、もしくはそれ以上の対価が必要になるのかもしれません。

研究者でもなんでもない私にとっては難しい話になりますが、物には質量があるので、魂的な不確定要素が果たして対価となるのか?といった部分がよくわからないですし、街一つ分を濃縮したとして、それってとてつもなく重かったり、大きかったりするんじゃないのか?などと単純に思ってしまいます。

本当のところはどうなのでしょう。もしかしたらすごい発想の転換で、対価などは特に必要なくてつくることが可能なのかもしれません。そしてそれは簡単に所持しておけるほど、軽くて小さいものなのかもしれません。

そんないいものだったと仮定して、どうしてそれを持っているとされている「ニコラス=フラメル」が世の中にそれをだすことがないのか?

もし、本当に「ニコラス=フラメル」が現在においてもどこかに生きているほどに世の中を見てきているのであれば、人の尽きることのない欲求や欲望も、きっと誰よりも理解していることでしょう。それゆえにひっそりと、人の行く末を見守るという自分自身の欲求や好奇心・探求心を満たしているのではないか?

現在でもどこかで生きているとすれば、考える時間もいくらでもあるわけなのですから、普通に100年ほど生きる人よりも、よほど人格者であることも考えられますし、精神的にも成熟しているといった地点を超越していることでしょう。

永遠のときを生きてみたい?

もしも永遠のときを生きることができるとして、実際に生きてみたいと思いますか?私は特にそうは思いません。何かの研究をしていたり、何か目的があって時間がいくらあっても足りない!と感じている人である場合には、人によっては「永遠」の時間に憧れを抱く場合もあるでしょう。

考え方によっては、子供を産み育てていくことによって、遺伝子といった面で永遠を目指して自分を残していくといった風に解釈することもできます。しかしそれでは自分自身である「個人」は当然残りません。

パソコンなどを用いてのデータを保存するという技術が非常に進んできている現在、いつかは朽ちていってしまうことになる肉体を捨ててしまうことによって、人が「永遠」を「自分」として生きることのできる可能性が出てきているように感じられます。

科学技術や医療の技術をもってして、昔からの「錬金術師」のように有機物である人の体の寿命を延ばしたり、健康を維持する方法も現在であってももちろん模索されています。

しかし全く発想の転換で、あえて肉体から出てしまうことによって、「自分自身」を残すという考え方はある意味で、過去から現在にいたるまでの「永遠の命」を求めている人の最終目標をかなえてくれる一つの手段でもあるといえます。

一人の人のすべてを、メモリーカードのような小さなもの一枚にまとめることのできる時代が来るとすれば、それがさながら「賢者の石」のようなアイテムになってくることになるのでしょうか。でもそれって生きていくことにはなるんでしょうか?そもそも「生きる」という定義をどこに持ってくるかによって、解釈も変わってくることになります。

それでも「自分自身」を残そうと思えば「永遠」に残せる時代が到来したとして、あなたは残したいですか?

私は「」だけでいいと思えるんですけどね。

限られた時間であるからこそ、「今を一生懸命」生きることもできるのではないでしょうか?

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