なくならない子供の虐待/個々の感情重視の人間

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ニュースをみていると「またか」と思うほどに子供への虐待のニュースを目にします。悲しい出来事ではありますが、そもそも最初から自分の子供を虐待するためにつくる人はいないと考えられます。

愛すべき存在、大切にするべき・守るべき存在であるはずなのに、どうしてそんなことが起こってしまうのでしょう。

今回は主に日本でのことを中心に考えていきますので、発展途上国などそもそも「自由」選択肢の少ない、まだまだほぼすべての人に対しての基本的な教育が行き届くこと難しい国などについては別と考えてください。あくまでも私個人の考えと、調べたことなどを元に考えていきます。

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そもそも「人」の生きる目的が変わっている

そもそも「人」は特に特別な生物なのではなく、ただ単純に考えると動物の中の種類になります。まずが飛躍的に増えていることもあり、感情表現なども豊かであることから、どこか特別な感覚をもっている部分もあるかもしれませんが、ただの生き物です。

生き物が生きている目的の主なものとして、「自分の遺伝子を残す」という目的があげられるでしょう。人も他の生き物も、長い短いはありますが寿命というものがあり、それに縛られて生きています。限られた時間の中で次の世代へとまた繋いでいく、それが生き物として考えられる目的です。

それほど寿命の長くはない生き物の場合には、次の世代を生んだ次の瞬間に息絶えてしまうこともあるので、「次に残す」ということは生き物として非常に大切なことだと考えられます。成長して大人になり次へと繋いでいく、個体の存在はその流れの中の一つのピースのようなものに過ぎないといった考え方ですが、要はその生き方に納得して生きていくことができているか、といった部分になるのではないでしょうか。

「個」を大切にする時代

そもそも人間だけが感情を持っているのか、などの話についてはそれもわからない話ですが、人は感情表現豊かな生物です。見た目に表現するだけではなく、考え方も人それぞれであり全く同じ考え方の人がいたらむしろ気持ちが悪いとさえ感じてしまうでしょう。多くの人が知恵を身に着け、人間として生きている社会の中の自分の立ち位置などを理解する中で、「自分自身としての生き方」を優先している時代でもあると考えることができます。

自分としての「個」の考え方が強くなってくる中で、子孫を残した後には自分はあっさりとフェードアウトしていくっといった考え方に、果たしてなることができるでしょうか。それは中々難しいでしょう。特にこの日本においては平均して寿命も延びていますので、考える時間はたくさんあるのです。単純に後世に自分の遺伝子を残していくという生き物としての目的もあったとしても、「自分自身」・「個」の考え方になる部分がうまれても、仕方のない話でしょう。

”子供はお荷物”という思考が生まれてしまう時代背景

これもまた時々ニュースになどでみられる話ですが、公園などで遊んでいる子供がうるさい・電車やバスなどの公共交通機関の中で泣いている子供がいるとうるさい、などといったような話です。

私自身子供がいるので、その辺に関しては寛容的な考え方になっているでしょうが、そもそも赤ちゃんは泣くものです。時代の流れとともに、どうも子供に対して寛容的でない大人が増えているようにも感じられます。これも「個」を優先する人が増えている結果ではないでしょうか。

しかしながら完全に「そうである」と言い切れない部分は、「子供だから許せ」という態度の親も多少なりとも存在しているからという可能性も捨てきれません。もちろん全ての人がそういった人であるわけではありませんが、人間というものは難しいもので、悪いことは印象的にいつまでもしこりとして残ってしまう部分があります。

少子化を問題であるという中で、根本的な部分に間違いが生じているのではないかと感じさせられます。

子供は「別の人間」である

自分自身から生まれていても、子供は子供で自分とは違った人間です。コピーなどではありませんし、全て言う通りになることなどありません。わかっていたとして自分のプライドが高かったり、周囲からの目などのさまざまな理由の中で、子供に多くを求めてしまう親も少なくないでしょう。

しかし子供は「別の人間」であり、「自分の後の世代」です。単純に生き物として考えると、健康に育て上げてなおかつそのあとの「孫」にあたる世代にしっかりと遺伝子を残してもらうことが目的になるはずです。

でも悲しいかな、人は「人間社会」の中で「人」として生きていくことを望みます。それは動物が群れの中で生きていくことと同じではありますが、現在の日本においてはとても複雑なものになってしまっています。それは本当に難しいもので、こんな文章で書ききれるものではありませんが、そんな社会の中で生きていくということは、単純に「生物」として生きていくことをより難しくしています。

「別の人間」であると理解していても、「社会生活」をしっかりと営んでいくことができる大人へと育てることが必要になってきてしまうからです。そうなると親も人間です。自分の子供をよりよく育てようとも思います。常識的な行動や教育を適切に受けさせることについては、特に問題ないでしょうし、「人」として生きていくことが必要な世の中においてしておくべきことにもなります。

しかしそれ以上の教育やしつけなどについてはどうでしょう。子供はあくまでも「別の人間」です。親とは考えてることがそもそも違いますし、物の見方も違います。当然「人」としていけない行動などをとった場合には注意はするべきですが、過剰な制裁を加える必要はないのです。

そもそも「人」して生きる

そもそも「人」としてとはどういったものなのでしょうか。その程度についても、基準は人それぞれです。自分自身と同じかあるいはそれ以上を望み、子供に対して過剰な期待をしてしまうあまりに、子供がそれに応えることができなかった場合に、強いストレスを感じてしまうことも考えられます。

難しいことに本当に個人個人でその考え方は違っていて、もしも子供が病弱であったりした場合には、「どうか元気であってほしい」とだけ望むかもしれませんし、元気ハツラツで運動はできるが勉強ができないといった場合には、「運動よりも頭がよくなってほしい」と望むかもしれません。

ただ常識的に生きているだけでは、うまくわたっていくことが難しい世の中であるため、単純に「善人」に育てば良いというわけでもありません。しかし「悪人」ではけっして良くはないのです。

なんとも難しい話ですが、「人」が「人」として生きることが複雑になってしまい、自分自身のストレスなどだけでも精一杯であるにも関わらず、「子供」という新たな人格の育成などに携わることが非常に難しいという点も、新たなストレスを生んでしまい、虐待などに繋がってしまうことの一つの原因としても考えられるでしょう。

興味・関心の尽きることのない世の中

はるか昔とは言いませんが、100年ほど昔を想像してみてください。まず現在よりも不便であったことは想像できます。もちろん携帯電話もなかった時代です。パソコンもありませんし、現在のような便利な家電製品も一つもなかったのです。

その分人力でしなければいけないことも多かったでしょうし、それには時間がたくさんかかったことでしょう。ほんの少し前、十数年前と比べて考えてみても、大きく変化した部分はたくさんあります。

世界がひっくりかえるほどの変化といえば、メールやLINEのようなコミュニケーションツールや、オンラインで常に人と会話をする・ゲームをするなどのことができるようになったことも一つです。それは同時に「いくら時間があっても足りない」という感覚を生んでしまう場合もあるということを考える必要があります。

24時間いつでも自分の見たいときに、自分が好きな種類の映画や番組などをずっと見ることも可能です。そうなのです。自分自身の思うままの世界を、時間のある限り堪能することも可能な世の中になってしまっているんです。

それの何が問題であるかというと、人というものは欲望に対して貪欲になってしまう部分があります。多くの人はその欲求ともきちんと向き合いながら毎日の生活をうまく送っていくのですが、時折自分が心地よい世界から出たくない・現実を見たくないといった考え方になってしまう人もいるのです。

自分が一番好きなことをずっとしていたい・今邪魔されたくない、というときに子供がいたらどうでしょう?子供には大人の事情など関係ありません。特に小さい時には昼夜お構いなしです。今まで自分の時間を自分に対してのみずっと使ってきた場合、「邪魔しないでほしい」と感じる感情を上手くかわせるでしょうか?

そういった面から、虐待へと進んでしまうパターンもないとは言い切れないでしょう。

どんな人格者でも「絶対」はあり得ない

私自身としても偉そうなことは決していえるものではなく、「こうして欲しい・なぜできないのか?」などと感じてしまい、実際に注意したり、感情的になってしまう部分もありお恥ずかしい限りですが、子供が寝た後などに冷静になると考えるのです。「今日も一日子供が元気でよかった」と。

その時には健康で元気から、それでいいじゃないか!と思うんです。でも自分の「人」なのでなかなか難しいなと思う毎日です。

他人目から見て完璧に見えたり、人格者であると思える人であっても、逆にそうであるからこそ自分の周囲にも自分と同じ完璧を求めてしまえばどうでしょう。

それがかなわないことであると感じたとき、それは抑えられないストレスなどの衝動になってしまう場合も無きにしも非ずです。色々なものや情報にあふれている世の中で、自分自身としての人生もしっかりと歩みながら、子供のことも考えていくことはなかなか難しい話です。

それでも子供をもうけた以上は、その責任は重大であるということは自覚するべきですし、自分自身がそこから「大人」にならなければならないということを再確認する必要があります。子供がいるのに子供のまま、自分の興味ばかりを追い求めていては前に進めません。

すべての物事とうまく距離を保ちつつ、自分自身の時間も作り、楽しむときは思いっきり楽しむ。ある程度大きくなれば、子供も一人の自立した人間です。見守ることは大切ですが、過剰に干渉しないこと・できればもう少し今よりも社会全体が子供に対して寛容的になることで、「虐待」をうんでしまう連鎖を減らすきっかけになっていくのではないでしょうか。

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